はやぶさ帰還カプセル特別公開タイトル

 
【お問い合わせ】
ライフパーク倉敷
科学センター

086-454-0300
メール はこちら
 

はやぶさプロジェクトメンバー・寺園先生への20の質問

画像:寺薗先生 寺薗 淳也 (てらぞの じゅんや)
 会津大学 先端情報科学研究センター 助教
 元はやぶさプロジェクトメンバー
寺薗さん(通称:テラキンさん)は、月・惑星探査における科学解析の専門家です。はやぶさプロジェクトではカメラチームに所属して研究を進める傍ら、2004年5月の地球スイングバイ、2005年11月のタッチダウンの際の広報活動を指揮しました。「あの」栄養ドリンクで有名になった人です。 月・惑星の知識や探査計画を紹介するサイト「月探査情報ステーション」(http://moonstation.jp)の編集長を努め、月・惑星探査に関する普及・啓発活動を続けています。

画像:講演する寺薗先生 2010年12月18日。会津大学の寺薗先生をお招きして科学講演会を開催しました。テーマは今から教えて!「はやぶさ」入門〜小惑星探査機「はやぶさ」は何がすごいの?〜
会場の参加者200名による事前アンケートで、寺薗先生に今ぜひ聞きたい質問、上位20を厳選し、その内容にスバリ!ズバリ!とお答えいただきました。

このページでは、講演会での寺薗先生の回答を再編集し、ご紹介させていただきます。

質問 1  なぜ、「はやぶさ」という名前になったのですか?

「はやぶさ」という名前は、探査機の様子から名付けられています。 小惑星イトカワに探査機が着陸してサンプルを取る際、一瞬だけ着地してすぐに飛び上がりますが、この様子が、獲物を捕らえて素早く空中へ舞い上がる鳥のハヤブサを連想される、ということから、この名前がついています。なお、「はやぶさ」の正式名称は、MUSES-C (Mu Series Experimental Satellite)です。CはMUSESシリーズの3番目という意味です。

質問 2  イオンエンジンってどこがすごいのですか?

イオンエンジンの最大の特徴は、ものすごく効率がいいことです。イオンエンジンは、原子から電子をはぎ取った「イオン」と呼ばれる小さな粒を、電気の力で加速させて噴射するという仕組みです。噴射するものがロケットなどと比べて圧倒的に小さいことから力は小さいのですが、その分、連続して噴射し続けることで、圧倒的な加速力を得ることができます。このようなことから、将来の月・惑星探査では本命のエンジンとして期待されているのです。

質問 3  小惑星イトカワとは、どのような天体ですか?

イトカワは、いわゆる典型的な小惑星です。ただ、一般的に小惑星といった場合には、火星と木星の間に位置している「小惑星帯」と呼ばれる場所に存在するものを指しますが、イトカワは、地球に近い公転軌道をとる「地球近傍小惑星」という種類に属しています。大きさは、長さが540メートル、幅が300メートルと、大きめのタンカーくらいの大きさを想像すればよいでしょう。

質問 4  はやぶさがイトカワに向かうときに利用した、地球スイングバイとはどんな技術ですか?

スイングバイとは、英語で「そばを通り過ぎる」ということ。その名の通り、地球の重力を利用して、言うなれば地球に引っ張られることによって探査機を加速させるという技術です。 はやぶさは、ロケットで得た速度だけではイトカワに達することが設計上できません。そこで、このスイングバイを使って地球の重力の助けも借り、さらに加速してイトカワにたどり着いたのです。

質問 5  はやぶさはたくさんの「世界初」に挑戦をしたと聞きました。どんな挑戦をしたのですか?

数多くの世界初があります。例えば、イオンエンジンによる長時間飛行、画像だけを利用した目標天体への接近、小天体への着陸と離陸(イトカワは人類が着陸および離陸した最小の天体)、月以外からの固体天体からのはじめてのサンプルリターン(彗星からはアメリカが成し遂げています)、そしてなんといっても、小惑星への往復飛行です。

質問 6  日本ははやぶさのような探査機を、これまで作ってこなかったのですか?

実は、「はやぶさ」は、これまで日本が培ってきた月・惑星探査技術の集大成ともいえる探査機なのです。それをさかのぼると25年前、1985年に打ち上げられたハレー水星探査機「さきがけ」「すいせい」からはじまります。その後、スイングバイ技術を確立した1990年打ち上げの「ひてん」、火星軌道に投入できなかったものの数多くの惑星探査技術を獲得した「のぞみ」などが下敷きになっているのです。

質問 7  よその天体を調べて、地球に戻ってくる探査機はなぜ難しいのですか?

行くだけ、というのは、基本的に到着してしまえば目標は達成されたわけです。しかし、往復するとなると実は2倍以上の大変さを背負うことになります。まず、往復するために時間がかかるため、長い時間にわたって安定して動作する探査機を作らなければならないこと。また、戻るときには探査機を逆方向に運用するため、その技術も必要です。高い信頼性と高度な運用技術があって、はじめて往復飛行は実現するのです。

質問 8  地球に持ち帰ろうとした小惑星の砂から、どんなことがわかるのですか?

太陽系は今から46億年前に誕生し、まず太陽が、そして周辺の惑星がそれに続いてできたと考えられています。しかし、地球をはじめとした惑星は、一度溶けてしまっているため、当時の物質を残していません。小惑星は、その頃の物質をまだ残していると考えられるため、46億年前にどのような物質が存在していたのかを知ることができると期待されます。

質問 9  宇宙にある探査機を、どうやって地球から操作するのですか?

「はやぶさ」は地球から非常に遠いところにいるため、地上からの指令を送っていては光(電波)の速度でも間に合いません。そのため、自分で判断する「自律」機能が組み込まれています。そのほか、あらかじめどのタイミングでどのような操作をしろという指令(コマンド)を送っておいて、そのときになると探査機がそれを自動的に実行するのです。

質問 10  はやぶさは自分で考えて動くことができると聞いたけど、どういうことなのですか?

「はやぶさ」にはコンピューターが組み込まれていて、プログラムにより、自分が今どのような状況にあるか、そしてそれに合わせてどのように動けばいいのかを自分で判断することができます。例えば、レーザ高度計の高さの情報から、降りるべきか上昇するべきか、またどの程度の速度で動くべきかを自分で判断します。ただし、コンピューターのプログラムで想定していない動作はできません。

質問 11  はやぶさがはじめてイトカワをとらえたときは、どんなふうに感じましたか?

一言で言って「やばい!」と思いました(笑)。何しろ、私たちの予想をはるかに超えてでこぼこしているのです。こんなところに着地してサンプルを拾えるのかどうか、真っ青になりました。ただ、何といってもはじめてみる天体の姿には感動するものです。そして、目が慣れてくると、だんだんイトカワがラッコのようにみえてきました。管制室にも、ラッコの姿をしたイトカワの絵が出回ったりしました。

質問 12  はやぶさがイトカワの砂を取るまでも大変だったと聞きました。どのくらい大変でしたか?

まず、サンプル採集をどのような装置にするか、それを考えるところが大変でした。相手は未知の天体です。表面がどうなっているかもわからないので、あらゆる条件に対応させる必要があります。いまの方式(弾丸を発射する)になってからは、今度は弾丸を確実に発射できる機構にする必要がありました。複雑な装置の制御、そして探査機自体も微妙な制御を行う必要がありました。

質問 13  応援がたくさん寄せられたそうですが、一番、印象に残ったものを教えて下さい。

7年間の探査を通して、本当にたくさんの応援、激励が寄せられて、私としても感謝・感激です。2004年5月の地球スイングバイの際には、その写真をみて「まるで『はやぶさ』に乗って地球を通り過ぎているようだ」という感激のメールがJAXA広報部に寄せられました。2005年の着陸の際には、国内外を問わず、ものすごい数の応援が寄せられ、管制室の壁一面を埋め尽くしました。でもいちばんうれしかったのは、いちばんつらいときに届いた「がんばれ!」というメッセージです。

質問 14  イトカワ探査のとき、管制官の人々は食事はおろか、寝る時間もなかったそうですが、本当ですか?

はい、本当です。イトカワ着陸を目指していた当時は、着陸やその前の試験などが、ほとんど夜半から早朝にかけて行われたため、川口プロジェクトマネージャーをはじめ、関係者のほとんどは、毎週毎週徹夜を余儀なくされていました。もちろん私もそうです。また、「はやぶさ」は24時間動いていますし、最大限いろいろなことをしてもらうため、管制は交代をしながら24時間行われています。

質問 15  イオンエンジンが壊れたと聞いたけど、修理ができない宇宙でどうやって直したのですか?

イオンエンジンは宇宙で修理することはさすがにできません。そのために、予備を積んでいきました。 「はやぶさ」にはイオンエンジンが4機搭載されていますが、このうち1機は当初から予備として積まれていました。 何かあればこの1機を使う予定にしていたのですが、打ち上げ早々1機のイオンエンジンが壊れて、すぐに予備機を使う羽目になりました。

質問 16  はやぶさの故障で地球に帰れなくなりそうな危機を、どうやって乗り越えたのですか?

2009年11月、「はやぶさ」の稼働しているイオンエンジンのうち1機が故障し、このままでは地球に帰れないという状態になりました。ここで、イオンエンジンの担当者から、故障している2つのイオンエンジンから、互いに生きている部分(片方のエンジンのイオン源と、片方のエンジンの中和器)を回路で組み合わせて稼働させる、という方法が提案され、これがうまくいって、帰還にめどがついたのです。

質問 17  昨年6月のはやぶさ帰還の様子を寺薗先生は、どんなふうに見守りましたか?

今回の帰還は、私自身は、地元の会津で静かに迎えました。 自宅でツイッターやウェブを通して多くの方とコミュニケーションをしながら、現地から届く情報やメッセージを見て、状況を把握していました。 長年ミッションに携わった人間として、オーストラリアで出迎えてもよかったのかな、という思いは、今でもあります。

質問 18  はやぶさのカプセルからイトカワの微粒子がみつかって、どんなふうに感じましたか?

正直言って、ほっとしました。サンプル採取のための弾丸発射がうまくいかなかったという事実が頭に残って離れなかったので、最初はみつからないのではないかとさえ危惧していました。微粒子がみつかったことで、ようやく「はやぶさ」が本来の目的を達成したと、胸を張っていえる状況になったと思っています。その意味で、「空っぽだったらどうしよう」という恐怖は、本当に苦痛でした。

質問 19  はやぶさの最期の姿を詳しく教えて下さい。

「はやぶさ」の最期の姿については、オーストラリアの現地で国立天文台などの観測チームが詳しい観測を行っています。それによると、探査機は大気圏に突入してから、高度100キロ以上のところでばらばらになりながら突入し、流星のように火の玉になって燃え尽きました。明るさは最高で満月の3倍近くにまで達したそうです。再突入カプセルの明るさも金星の明るさと同じくらいだったそうです。

質問 20  はやぶさを地球帰還に導いた「はやぶさチーム」とは先生にとってどんな存在ですか?

家族でもあり、ライバルでもあり、仲間でもある。そして、7年間のすべてといえるでしょう。 「はやぶさ」チームは、実は宇宙研の人たちだけではなく、大学、企業、さらには天文関係者なども加わっている100人以上の大所帯でした。いろいろなところから集まり、いろいろな意見を持った人たちを一つに束ねて動かせたのは、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎先生の強いリーダーシップの賜物に他なりません。

 

倉敷科学センター
主催:倉敷市・倉敷市教育委員会(ライフパーク倉敷科学センター)
協力:宇宙航空研究開発機構(JAXA)