倉敷天文台とは

倉敷天文台ホームページ:http://kuraten.jp/index.html
所在地:岡山県倉敷市中央2丁目19-10(地図
    ※倉敷美観地区から徒歩5分と近いため、観光利用もお勧めです
主な施設(2024.3現在):
  1)観測室(31.5cmカセグレン式反射望遠鏡)
  2)原澄治・本田實記念館
    ※昭和27年(1952)当時に建造された5mドームを備えた天文台の建物を展示室として利用
    ※見学には事前予約が必要
    ※1926年創設時の天体望遠鏡(32センチ反射望遠鏡:展示中)は市指定文化財(歴史資料)
  3)天文カフェ「星の光の澄みわたり」
    ※天文台敷地内の官舎をリノベーションしたレトロでおしゃれなカフェ空間
    ※倉敷天文台蔵書の古い天文書籍を多数展示
 


大正時代、創設当時の観測室
 倉敷天文台は、大正15年(1926)に創設された日本で最初の民間天文台として知られています。
 当時の日本は西洋にあらゆる面で追いつこうとしていました。とりわけ科学技術については、国を挙げて普及に取り組もうとする機運がありました。京都帝国大学の山本一清教授は、天文学の普及には市民まで広く裾野を広げる必要があると訴え、市民が利用できる天文台(公開天文台)の開設を切望しました。当時の天文台は官立のものがほとんどで、天文学者が研究目的でしか利用することが許されてなかったためです。
 岡山で熱心に活動していた天文愛好家・水野千里氏(全国規模の天文同好会の岡山支部長)は、晴天率が高く降水量が少ない岡山に市民向けの天文台を設置しようという運動を展開し、それに応えた原澄治氏(倉敷市名誉市民)の出資により、倉敷天文台が誕生することになります。
 導入された望遠鏡は、英国ホルランド社製の口径32㎝の天体望遠鏡(倉敷市指定文化財)で、心臓部となる反射鏡は、世界的に著名なイギリスの研磨名人、G・カルバーにより製作されたものでした。当時、この規模の望遠鏡は国内最大級といえるもので、これが市民向けに公開されたという実績は日本の天文学界に大きなインパクトを与えました。

現在の倉敷天文台(記念館)
 現在、国内にはおよそ200カ所の公開天文台が設置され、日本は世界でも有数の公開天文台が充実した国となっています。その第1号はおよそ100年前に倉敷で誕生し、倉敷天文台を歴史的に支えてきた先人たちの尽力が、その種となっているのです。
 天文学に詳しくない一般の人々にも、倉敷天文台の名が広く知られるようになったのは、戦後の本田實氏(倉敷市名誉市民)の新天体発見の活躍によるところが大きいといえます。同氏は長年倉敷天文主事を務め、生涯に彗星12個、新星11個を発見した、世界的にも名が知れた天体観測家です。特に、戦後立て続けに発見した3つの新彗星発見のニュースは、敗戦で沈んだ世相の中で、明るいニュースとして大きく報道され、国民から熱狂的に称えらるものとなりました。

2013年 移築された旧スライディングルーフ観測室


移築前の観測室 最後の観望会(2013年)

リニューアルした倉敷天文台の観測室
 およそ100年前に設置された観測室は、老朽化が進んだことに加え、階段を上らなければ入室することができなかったため、バリアフリー化にも対応した新観測室へと2013年にリニューアルされました。これに伴い旧観測室は、ライフパーク倉敷科学センターの敷地内に移築されることになりました。
 この観測室は中央から開閉する切妻屋根構造になっている点が最大の特徴です。当時も今も、観測室の屋根は一枚屋根を開閉するのがシンプルで確実なものとされていて、倉敷天文台の旧観測室のような開閉構造は、他の観測室にはほとんど見られないもので、天体観測上のメリットも見当たりません。おそらく設置場所の広さの都合で採用されたのではないかと想像されます。
 しかし、構造の複雑さに対応するため、屋根材は非常に品質が高く、通常の屋根材より厚みを持たせた頑強な木材が使用されています。たいへんな重量があったため、取り外しや組み上げには、大型クレーンで吊り上げる必要がありましたが、強度が高かったおかげでほとんど解体せずとも吊り上げることができたといいます。
 この観測室のスライディングルーフは約100年前当時の姿を未だに残しています。質の高い木材が使用されたおかげで、長い年月にも耐え、今日われわれは大正時代そのままの観測室の姿を知ることができるのです。
 

旧スライディングルーフ観測室 解体と移築のようす